ソナタ ロ短調
Sonate h-moll
(S178)

 この曲ほど大論争を呼び起こしたピアノ・ソナタはおそらく音楽史上ほかにないだろう。リストは晩年ピアノの生徒達に「技巧は目的ではなく音楽のための手段にすぎない」と常々戒めているが、この作品はそれを裏付けるかのように、高度のピアノ・テクニックと音楽の精神性の高さが見事に結びついている。疑いなく、リストの最高傑作である。

作曲過程


 リストは1851年、シューベルトのピアノ曲「さすらい幻想曲」をピアノと管弦楽用に編曲した(S366)が、この作品に刺激をうけて、ピアノ独奏用のソナタでもっと緊密な統一性を持つユニークな作品を作り出そうと考えた。
 そして、1852-53年、ワイマール近郊アルテンブルグの別荘で作曲された。
 この構成は、ソナタ形式を用いた単一楽章構成の中に、ソナタの各楽章の要素も取り入れた独特の形式で、特に主要な主題が全曲にわたって用いられ、有機的な統一をもつ、いわゆる循環形式で書かれた典型的な作品である。

初 演


 1857年1月22日、ベルリンにてハンス・フォン・ビューローの演奏で。初演の批評はさんざんであった。ベルリンは、その後ウィーンとともにブラームス(Johannes Brahms 1833-97)派の本拠地となったほどだから、もともと保守的な傾向にあり、リストの目ざす「未来音楽」には最初から批判的だった。これに対しビューローが反論を新聞に載せた事から大論争がひき起こされた。
 1881年2月のウィーンにおけるビューローの再演の時には、とくに激烈な論争の対象となった。リストやワーグナーら<新ドイツ楽派>と対立していた、ブラームス派の批評家ハンスリック(Eduard Hanslick 1825-1904)がいたからである。
 この曲が、「ソナタ」ではなく「幻想曲」と名付けられていたら、これほど論争にはならなかっらかも知れない。事実、シューマンがソナタ風の「幻想曲」作品17を書いた時には論争にならなかった。

出 版


 1854年、シューマンが彼の作品「幻想曲」ハ長調(作品17)をリストに献呈した返礼として彼に捧げられ、ブライトコブフ・ウント・ヘルテル社より刊行された。

ディスク

アラウ(p)[70]。        (CD番号)Ph-PHCP3577

アラウ(p)[85]。                Ph-PHCP10575

アルゲリッチ(p)[71]。             G-POCG90464

ギレリス(p)[64]。               R-BVCY7305

グリンベルグ(p)[52]。            Triton-DMCC24049

小山美稚恵(p)[87]。             SC-SRCR9142

迫沼嘉(p)[96](live)。             LN-WWCC7290

田部京子(p)[95]。              De-COCO78960

チェルカスキー(p)[85]。           Dec-POCL1524

ツィマーマン(p)[90]。            G-POCG4177

プレトニョフ(p)[97]。            G-POCG10145

ブレンデル(p)[81]。             Ph-PHCP3839

ワッツ(p)[85]。               A-TOCE6622